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【世界に一つ!加東遺産】#002 朝光寺と鬼追踊

連載第2回となる【世界に一つ!加東遺産】。

今回は加東市の朝光寺と鬼追踊について紹介します。

<国宝 朝光寺>

朝光寺本堂(提供:加東市観光協会)

朝光寺の本堂は、昭和29年3月20日に国宝に指定されています。

白雉2年(651年)法道仙人開創の寺とされており、文治5年(1189年)に権現山から現在の地に移ったそう。

現在の地に移った歴史背景

歌川広重「義経一代記之内 三草山合戦義つね平陣を夜討す」(画像引用:KOBECCO「兵庫ゆかりの伝説浮世絵 第三十三回」)

時は平安時代の末期ーー。

寿永3年(1184年)に丹波と播磨を結ぶ交通の要衝・丹波街道(現在の国道372号)麓での三草山合戦にて。

三草山の西の山口に陣取った平資盛(たいらのすけもり)を、源義経が2月4日夜半、夜襲を仕掛けて大勝利を収めました。

しかし進軍の際に民家・木・草などに火をつけたことで、火が権現山の朝光寺を焼いてしまいます。

そのため、現在の場所で再建したということです。

ちなみにその後、資盛は高砂から海路で屋島へ奔走……義経は鵯越へと向かい、一ノ谷、屋島、壇ノ浦へと平氏滅亡へ戦は続きました。

「朝光寺」名の由来

昭和の大修理(昭和10~12年)前の本堂 左側に阿弥陀堂が(提供:加東市観光協会)

インドから渡来した法道仙人が法華山一乗寺(加西市)にいた時、毎朝東の方向に瑞光(ずいこう:めでたい光)を見ていたそう。

現地に赴くと住吉大神から「瑞光を放つ木で仏を作って堂宇(どうう)を作るよう」と告げられたところから、朝光寺の名が付けられたといわれています。

ちなみに法道仙人は、景行天皇の時代に紫の雲に乗りチベット・中国・朝鮮を経て播磨地方に降臨されました。

加東市には朝光寺のほか、播州清水寺、光明寺なども開基したと伝えられています。

2体の千手観音立像の謎

ご本尊2体の謎…(提供:加東市観光協会)

本来ご本尊は1体のはずが、朝光寺にはなぜか2体のご本尊があります。

応永20年(1413年)には、2体のご本尊を安置するために宮殿を3間から4間へ改修されました。

西のご本尊(向かって左)

西のご本尊(提供:加東市観光協会)

京都の蓮華王院(通称:三十三間堂)千手観音1001体の内、23体と同様に、左足のホゾに「実検了 長快(花押)」と記されていることや、作風から見て、室町時代初期に蓮華王院から朝光寺に移されたと考えられます。

蓮華王院には1体だけ室町時代作の千手観音があり、1体を朝光寺に移したので補充したのではないかと考えられている一方、本当の理由は歴史の闇の中です。

なお令和元年7月23日には国の重要文化財に指定されています。

東のご本尊(向かって右)

東のご本尊(提供:加東市観光協会)

全体は彩色も定かでないほど黒ずんでいるのが見られ、造立は平安後期だと考えられており、西のご本尊が移されるまでは朝光寺唯一のご本尊であった可能性があります。

宮殿のご開帳は決められておらず、ご本尊である秘仏を拝観することはできません。

写真は、このたび西のご本尊が重要文化財に指定をされたことにより令和5年5月5日に特別公開された時に撮影したものです。

(重要文化財指定後、新型コロナ感染症拡大のため、長らく公開されませんでした)

鐘楼:重要文化財(昭和29年9月17日指定)

鐘楼(提供:加東市観光協会)

永正年間(1504~1520年)に赤松義村(播磨・備前・美作の領主)によって再建されました。

和様を基調とした折衷様式で屋根の優美な曲線、斗の背が幅に比べて高いこと、上層の縁を簀子張りにしていることなど鎌倉末期の特徴を表しています。

とくに箱棟をのせた寄棟造りに袴腰という形態は、全国的にもその類例が少なく貴重な遺構といわれています。

多宝塔:県指定文化財(平成14年4月9日指定)

多宝塔(提供:加東市観光協会)

本堂と同じく文治年間(1185~1189年)に建立。

その後、関ヶ原の合戦直後の慶長6年1601年に姫路城主池田輝政に再建され、宝永7年1710年に領主土岐伊予守頼朝が修復しました。

桁行・梁間ともに三聞の規模で四方に縁をめぐらし、屋根本瓦葺で上層の軒には扇極を配しています。

内部内陣に多宝如来と釈迦如来を奉記しています。

<鬼追踊>

鬼追踊(提供:加東市)

毎年5月5日、朝光寺本堂前の境内にて五穀豊穣・無病息災などを祈願して奉納される鬼追踊。

昭和57年3月26日には、県指定重要無形民俗文化財に指定されています。

鬼追踊の由来

朝光寺創立当時から「般若踊(はんにゃおどり)」と呼ばれ、法道仙人の作と伝えられる鬼の面をつけて、悪を払い疫病を除く儀式として、陰暦の正月15日に行われてきました。

起源はあきらかではありませんが、採物の太刀、錫杖の銘などから室町期かと推測されます。

昔は朝光寺の寺中約五十坊から選ばれた数人の若僧が鬼面をかぶり、手に松明、太刀、斧、錫杖を持って荒々しく堂内を踊って、天下泰平・国家安穏を祈願していたそう。

その後、明治維新によってこの鬼追踊も一時中断しました。

しかし明治20年頃に復活を遂げ、儀式日を5月の八十八夜に改め、五穀豊穣・無病息災を祈願することとなりました。

なお、現在は5月5日の「こどもの日」に「鬼まつり」として本堂前庭において古代の如く行われています。

踊り

踊りは翁役1人と鬼役4人で演じられます。

松明を持った翁の踊りから始まり、松明の赤面鬼、斧の青面鬼、太刀の黒面鬼、錫杖の黄面鬼と順に踊り、最後は鬼が一団となって群舞します。

踊りは単純な鐘の調子にのり、大きく飛躍したり、採物をふるうなどの所作を繰り返します。

踊りの所作は素朴ですが、その様は非常に勇壮で迫力のあるものとなっています。

・翁

住吉明神を表したもので、額から頬に様式化された三本線がある。採物は松明。

翁(提供:加東市観光協会)
翁の踊り(提供:加東市)

・赤面鬼

阿形の赤面。角は三本。採物は松明。

赤面鬼(提供:加東市観光協会)
赤面鬼の踊り(提供:加東市)

・青面鬼

吽形の青面。角は一本。採物は斧。

青面鬼(提供:加東市観光協会)
青面鬼の踊り(提供:加東市)

・黒面鬼

吽形の黒面。角は一本。採物は太刀。

黒面鬼(提供:加東市観光協会)
黒面鬼の踊り(提供:加東市)

・黄面鬼

阿形の黄面。角は二本。採物は錫杖。

黄面鬼(提供:加東市観光協会)
黄面鬼の踊り(提供:加東市)

連載企画【世界に一つ!加東遺産】今後もお楽しみに

【世界に一つ!加東遺産】シリーズ、第2回は朝光寺と鬼追踊。

今後もかとうトリビューンでは世界に誇る加東遺産をどんどん取り上げてまいります。

次回もお楽しみに。

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(画像提供:加東市HP・加東市観光協会データベースより)