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【世界に一つ!加東遺産】#003 東条湖と秋津富士

連載第3回の【世界に一つ!加東遺産】。

今回は加東市の東条湖と秋津富士について紹介します。

<東条湖>

(提供:加東市観光協会)

かつて干ばつの被害に苦しんできた加東市域のみならず、三木市や小野市の市場町付近。

そんな一帯に灌漑(かんがい=水を溜め水路を引くなどして耕作地を潤すこと)用水供給施設として建設され、食糧供給を拡大し、戦後の高度成長の大きな原動力となったのが東条湖です。

現在も農業用水や水道水の供給、観光振興に大きな役割を果たし続ける、まさしく加東を潤す水がめなのです。

ダム建設計画

(提供:加東市観光協会)

ーー天恵の地形、土井は池になるーー

大正時代末期、当時の加東郡市場村村長だった近藤準吉が残した言葉です。

“土井”とは、現在東条湖の湖底に沈んでいる旧東条町黒谷の土井集落のことです。

四方を山で囲まれ、鴨川が流れる部分だけが開き、その場所をふさぐだけで池になるという地形だったのです。

昭和初期には付近一帯の町村長らが期成同盟会を結成し、この計画は国会にも持ち込まれました。

しかし築堤技術が未熟だったこと、太平洋戦争の影響もあり計画が実行に移されることはありませんでした。

戦後、深刻な食糧不足により農業生産増大は緊急の課題に。地元町村長会の熱心な要望活動の結果、国営でダムを建設することが決定しました。

農林省は昭和21年から現地調査をはじめ、昭和22年に上東条村役場内に農林省東条川農業水利事業所が設けられ、ダム建設がスタートしたのです。

東条湖の誕生

(提供:加東市観光協会)

当時の土井集落は約300年の歴史を持ち、農家7戸、51人が生活する自然に囲まれた静かで平穏な村でした(伝承によると、200年余り前に掎鹿寺の隠居僧2人がやってきて住み、分家を重ねて6戸に増えたという話も)

その村が沈むと聞いた時の集落の方々のショックは言葉では言い尽くせないものだったでしょう。

先祖伝来の土地や祖先の墓地まで失うとあって、当然ながら移転に反対されました。

しかし、約1年にわたる交渉の末、東播地方全体の発展のため、ついに合意されたのです。

東条川支流である鴨川を堰き止め、戦後国営第一号のコンクリートダム(鴨川ダム)の建設は、昭和24年に起工式が行われ、昭和26年(1951年)11月に完成し、ダムによって生まれた湖は「東条湖」と名付けられました。

水天宮

(提供:加東市観光協会)

東条湖完成の8年後、昭和34年(1959)秋、湖の鎮めの神として東条湖畔に建立されました。

今でも湖畔の守護神として東条湖の安泰を静かに見守っています。

(提供:加東市観光協会)

東条湖の出現により湖底に沈んだ土井集落への畏敬の念も表し、毎年、水天宮祭が行われています。

<秋津富士>

(提供:加東市観光協会)

加東市東部に位置する標高320mの小高い山で、山頂からは付近の町並みや田園風景、東条湖を見渡せます。

ハイキングコースが整備され、秋津台の登山口から登ることができ、晴れていれば明石海峡大橋を肉眼で確認することも。

(提供:加東市観光協会)

登山口から片道約15分、600mほど歩くと石室が露出した古墳が現れます。

(提供:加東市観光協会)

内部は右片袖式石室で6世紀後半(約1400年前)頃のものであり、秋津古墳群の中では最も高い位置にあります。

東条川疏水

(画像引用:兵庫県/東条川疏水ネットワーク博物館

鴨川ダムに蓄えられた東条湖の用水は、約17.4kmの幹線水路で加東市・小野市へ送られ、農業用水のほか防火用水や水道用水として活用されています。今では地域住民の生活にとって欠かせない水源となっています。

鴨川ダム

(画像引用:兵庫県/東条川疏水ネットワーク博物館

昭和24年(1949年)、農水省が戦後初めて手がけた国営事業として鴨川ダムが着工されました。

セメントの輸送、エプロン、コンベヤによるミキシングプラントへ。

(画像引用:兵庫県/東条川疏水ネットワーク博物館

骨材も加古川から専用トラックにより運搬され、急ピッチで工事は行われました。特に昭和25年秋以降は昼夜をとわず250人以上が作業にあたっていたそうです。

着工からわずか2年で、貯水量838万トンの鴨川ダムが完成しました。

サイフォン

(画像引用:兵庫県/東条川疏水ネットワーク博物館

鴨川ダム完成後も事業は継続して頭首工やため池、用水路の整備が行われ、昭和39年にようやく終了しました。

そして加東市、小野市、三木市の一部の約3,100haもの農地は鴨川ダムがもたらす農業用水の恩恵を受けられるようになりました。

(画像引用:兵庫県/東条川疏水ネットワーク博物館

またかんがいするための水路は谷を越え、川を渡り、いくつもの道路を横断しなければならず、東条川用水には大小全部で59箇所のサイフォンがあります。

(画像引用:兵庫県/東条川疏水ネットワーク博物館

なかでも最大の曽根サイフォンは内径94cm・延長1,087mに及ぶスチールパイプで、毎秒1.3㎥もの水が管内を一気に流れます。

若宮八幡宮本殿、秋津薬師堂、秋津住吉神社

◎黒谷若宮八幡宮<重要文化財:昭和37年6月21日指定>

(提供:加東市観光協会)

黒谷地区の山裾に南面して建てられており、その建立時期については、内陣の羽目板壁に記された墨書の内容から永禄7年(1564)に上棟したことがわかります。

社殿の構造は三間社流造り、屋根コケラふきの建物で、正面平棟から唐破風が身舎に登る構造は全国的にも類例に乏しく、神社建築では現存する最古のものとして貴重であるといわれています。

また、木鼻・蟇股などにオモト・ショウブ・キクコイ・ツル・カメ・柏葉と筆といった多彩な彫刻が施されており、楽しんで見学することができます。

なお、境内前の馬場先で毎年8月16日に行われる「柱祭」は、平成24年3月28日に市無形民俗文化財に指定されました。

◎秋津薬師堂<県指定文化財:昭和42年3月31日指定>

(提供:加東市観光協会)

当初は方三間の建物でした。周囲に縁を廻らせ、柱は大面取され、隅の柱上に舟肘木(ふなひじき)が組まれています。屋根は茅葺きで、室町時代末期の地方色ある辻堂建築の形態を色濃くとどめていましたが、宝暦6年(1756年)に床、天井、板戸などが改修されています。

◎秋津住吉神社<百石踊:県指定重要無形民俗文化財:昭和47年3月24日指定>

(提供:加東市観光協会)

秋津百石踊とは、秋津住吉神社で干ばつの際に奉納される雨乞い神事をいいます。

かつては氏子圏の各地域で奉納されていましたが、戦争を機に衰退。

また、農業用ダム「東条湖」の完成による水不足の解消が一層衰退を助長する結果となりました。

現在では西戸地区のみが保存会として継承されており、毎年4月29日に奉納されています。

(画像引用:加東市公式Facebook

踊りは、「入端踊」「忍踊」「大雨踊」「をぐら踊」「都踊」「小唄踊」の6つの曲目で構成されており、軍配団扇を持ち口上をあげる真棒打(しんぼうち)、単衣と花笠を着けた鞨鼓打(かっこうち)などが中央の太鼓打を取り囲みながら演舞するという形態をとっています。

(画像引用:加東市公式Facebook

特徴として、輪になって踊ることや、ゆっくりとした調子の地歌などがあげられ、室町時代末期頃に成立したとされる風流系の踊りを何百年もの間、継承してきた地域の絆が伝わります。

東条湖花火大会

(提供:加東市観光協会)

東条湖の湖面から打ち上げられる花火大会は、例年8月の第1水曜日に開催されています。

1,370発の花火打上が予定されている今年。

東条湖の上空で見事な大輪の花を咲かせ、湖面を幻想的に染める直径約200mの7号玉は見ごたえ十分です。

令和6年度加東市夏まつり 花火大会

開催日:令和6年8月7日(水)

花火打ち上げ時間:19:30~20:00(荒天中止)

会場:東条湖特設会場(加東市黒谷・おもちゃ王国南側)

▼シリーズ第2回の記事はこちら